第3回定期演奏会曲目解説

幻想的序曲 山嶽詩
Ouverture fantastica Poesia Alpestre
  シモーネ・サルヴェッティ
 シモーネ・サルヴェッティは北イタリアのブレーノで1870年に生まれた作曲家で、1920年から吹奏楽団のマスターとして、また、オルガン奏者としても才能を発揮しました。この「山嶽詩」は1907年に発表されたものです。
雄大なアルプスの麓を散策するようなマエストロと呼ばれたサルヴェッティーの代表的な曲です。


間奏曲(インテルメッツォ)
  サルバトーレ・ファルボ
 ファルボは1872年5月28日シチリア島に生まれた作曲家で、サルベッティ同様に、吹奏楽団の指揮者として活躍しました。1927年4月8日にスペイン風邪に罹り55歳で生涯を閉じています。この間奏曲は1916年3月にイタリアのイル・プレットロ誌に発表されたもので、フォーレやドビッシーなど印象派の和声を想わせる、静かな曲です。

トカイ(TOKAJ)
  アントン・ヘルマン・クラーセンス
 クラーセンスは1910年生まれのオランダの作曲家で、代表作として「秋の綺想曲」(Automne Caprice)が知られています。また、指揮者やマンドリストとしても活躍、オランダマンドリンオーケストラ協会の会長も務めています。
ハンガリー語で居酒屋(踊れるワインレストラン)のことをチャールダといいますが、チャールダーシュとは “酒場風”を意味するダンスの曲です。チャールダーシュの曲「トカイ(TOKAJ)」はワインの名前で、甘くて美味しい貴腐ワインが出来ることでも有名なハンガリーのワイン産地、トカイ地方は2002年に世界文化遺産に登録されています。
  ハンガリーでは16歳から18歳ころの少年が大人として認められるようになるセレモニーがあり、その時に踊りや唄で祝います、大人になる儀式が済むと村のコチマという居酒屋で先輩たちにお酒を振舞います。その後、タンツハーズという踊りの家の出入りを許され、恋人とお互いの家を行き来することも許されます。このようにワインとチャールダーシュはハンガリーの人たちの生活に密着しています。
曲は遅い部分のラッシュ(lassú, lassan:ゆっくり)と速い部分のフリス(friss/frišká:新鮮に)があり、ラッシュ部分の哀愁を帯びたメロディーが印象的です。

イタリアーナ
  オットリー・レスピーギ 中川信良編曲
 交響詩「ローマの松」「ローマの祭り」「ローマの噴水」という、いわゆるローマ3部作で有名なレスピーギが16世紀のリュート音楽をアレンジし、1931年に発表した弦楽合奏用の作品「リュートのための古代舞曲とアリア」第3組曲から第1楽章です。この曲はマンドリン合奏用にも編曲され、よく演奏されています。
  なお、リュートとはギターに似たルネッサンス期の代表的な古楽器です。マンドリン族にもマンドリュートまたはリュートモデルノという楽器がありますが、これは5コース10弦を持つ楽器でリュートの現代版として開発されたものです。

バクダッドの太守(Le calife de Bagdad)序曲
  フランソワ・アドリヤン・ボアエルデュー(Francois Adrien Boieldieu)
 ボアエルデューはフランスの喜歌劇作曲家です。この「バクダッドの太守」の歌劇は1800年9月16日、ボアエルデューが24歳の時にパリで発表された一幕物の喜歌劇で、ヨーロッパで大変に人気を博し、彼の出世作になったものです。現在では序曲だけが単独で演奏され、特にマンドリン合奏で数多く演奏されています。
  バクダッドはご存知イラクの首都で、いまも爆弾騒ぎなどで、きな臭い町ですが、ペルシア語でバクダッドとは“神の贈り物”という意味です。その昔は千夜一夜物語の舞台となった町でもあり、そんな平和な時代の物語のひとつがこの「バクダッドの太守」です。

【あらすじ】

 バクダッドの太守イサーン(Isaoun)は自由に街を歩き回ることができるように変装して、名前もイル・ボンドカーニ(Il-Bondocani)と変える。その2ヵ月前に事件があって、山賊の一団からバクダッドの若い娘ゼチュルプ(Zetulbe)を救い出していた。
 彼はこの娘と恋に落ちるが、見掛けの悪い男を見て、母親は結婚に反対する。また、彼が宝石箱を持ってくるようにお供の者に言いつけると、彼女は「この人も山賊か!」と思って驚いてしまう。話を聞いた隣人が警察に通報する。警察はドアを壊して突入、逃げるイサーン。と色々な出来事がありますが、最後に太守は正体も明らかにしてゼチュルプと結婚できることとなった・・・というものです。
 この序曲の中にもそういった場面のモチーフがいくつも出て来る、楽しい曲です。

少年時代
  作詞井上陽水、作曲は平井夏美 武藤理恵編曲
 井上陽水の代表作ともなっている「少年時代」は1990年に映画「少年時代」の主題歌として使われ、またCM曲に採用されたことなどからロングヒットとなり、1997年7月には日本レコード協会からミリオンセラーとして認定されています。
【歌詞】
夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう 青空に 残された 私の心は 夏模様
夢が覚め 夜の中 永い冬が 窓を閉じて 呼びかけたままで 夢はつまり 想い出のあとさき
夏祭り 宵かがり 胸のたかなりに あわせて 八月は 夢花火 私の心は 夏模様
目が覚めて 夢のあと 長い影が 夜にのびて 星屑の空へ 夢はつまり 想い出のあとさき
夏が過ぎ 風あざみ 誰のたそがれに さまよう 八月は 夢花火 私の心は 夏模様


  作詞作曲、谷村新司
 昭和55(1980)年に発売されたこの歌は、日本はもとより中国でも大ヒット、アジアで広く親しまれた1曲となりました。現在でも中高年男性を中心にカラオケで歌われていますが、その音域もスケール感も広く、結構難しい曲です。
“昴”はご存知、おうし座にある星団で天気がよければ普通の人で6つか7つ見ることが出来ます。空気の澄んだところで目のいい人が25個観察したとの記録も残っています。学名ではプレアデス星団、中国では昴宿(ぼうしゅく)と呼ばれ、西方を守護する白虎7星座(7宿)の4番目にあたります。
【歌詞】
 目を閉じて 何も見えず 哀しくて 目を開ければ 荒野に向かう道より 他に見えるものは無し 嗚呼(アア) 砕け散る 宿命(サダメ)の星たちよ せめて密やかに この身を照らせよ 我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ
呼吸(イキ)をすれば 胸の中 凩(コガラシ)は 吠(ナ)き続ける されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり 嗚呼(アア) さんざめく 名も無き星たちよ せめて鮮やかに その身を終れよ 我も行く 心の命ずるままに 我も行く さらば昴よ
嗚呼 いつの日か 誰かがこの道を 嗚呼 いつの日か 誰かがこの道を 我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ 我は行く さらば昴よ

谷村新司は2008年に還暦を迎え「昴」という小説を書いています。その発表の際に彼は次のように新たな意気込みを語っています。
「『荒野に向かう道』を『昴』は教えてくれた。『道』は『未知』なるもの。誰も歩いていないところへの旅が、また始まる」と。

シャボン玉
  野口雨情作詞、中山晋平作曲
 「シャボン玉」は大正9年に詩が作られ、曲は2年後に雑誌「金の塔」に発表されました。
この曲は童謡として親しまれていますが、悲しい背景があるようです。当時は乳児死亡率も高く、流行のスペイン風邪で多くの子供も亡くなっていたようです。
 作詞の野口雨情も26歳の時に長女「みどり」をもうけ、人形のように愛らしい赤ん坊でしたが、産まれて7日目に亡くなってしまったのです。ある日、村の少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、娘が生きていれば今頃はこの子たちと一緒に遊んでいただろう、と思いながら書いた詩が、この「シャボン玉」だといわれています。

四季メドレー「秋」
  赤城淳編曲
 中村雨紅(なかむら うこう)作詞、草川信(くさかわ しん)作曲「夕やけ小やけ」 サトーハチロー作詞、中田喜直(なかだ よしなお)作曲「小さい秋見つけた」 高野達之(たかの たつゆき)作詩、岡野貞一(おかの ていいち)作曲「もみじ」 野口雨情(のぐち うじょう)作詞、藤井清水(ふじい きよみ)作曲「赤とんぼ」のメドレーです。


序曲「レナータ」
  ジャチント・ラヴィトラーノ作曲
 ラヴィトラーノは1875年イタリアのイスキア島のフォリオに生まれ、アルジェリアの地中海に面した港町Boneボーン(現在のAnnabaアンナバ)に移り住んだ作曲家です。“ジャチント(Giacinto)”というのはイタリア式の名前ですが、イスキアを出るときに彼はフランスに帰化したので、フランス語の綴りでは“イアセン(Hyacinthe)”となります。「レナータ」は伊仏のマンドリン紙「Estudiantinaエステュディアンティナ」が1909年に開催したマンドリン国際作曲コンクールで第2位に入賞したラヴィトラーノの代表作であり、「雪」「ローラ」とともに初期の3大傑作の1曲となっています。
 “レナータ”とはフランス王ルイ12世と王妃アンヌ・ド・ブルターニュの次女として、1510年10月25日ブロワで生まれた、イタリア語でレナータ・ディ・フランチア(Renata di Francia)、フランス語ではルネ・ド・フランス(Renee de France)を指し、宗教戦争のさなか、カソリックの家族との逆境の中でもプロテスタント(ユグノー)である自分の信条を守り抜いた強い女性の姿を描いています。